作業者のメンタルヘルスは、腕時計のデータで支えられるのか。年1回のストレスチェックの限界と、現場でできること

製造・FAツール

令和6年度、仕事のストレスや過労による精神障害の労災認定は1,055件になり、過去最多を更新しました。自殺と自殺未遂も88件含まれています。こうした不調は、ある日突然始まるのではなく、睡眠と心拍の変化として先に現れます。

職場にはストレスチェック制度がありますが、これは年1回の質問票です。本人が答えを選ぶ仕組みなので、自分の不調にまだ気づいていない段階では拾えません。そこで、日常のデータで補えるかが問われます。

結論を先に書きます。腕時計のデータは、個人を判定するためには使えません。使えるのは、本人が自分の変化に気づくためと、集団の傾向から職場環境を変えるためです。医療現場での試験結果と、法律が引いている線を見ながら整理します。

メンタル不調は、睡眠と心拍に出てから進む

厚生労働省の令和7年版の過労死等防止対策白書によると、令和6年度の精神障害による労災の支給決定件数は1,055件で、令和元年度以降増加が続いています。自殺(未遂を含む)は88件で、前の年度より増えました。請求は3,780件あり、決してまれな出来事ではありません。

体の側では、何が先に起きているのでしょうか。夜勤と交代勤務に注目した研究では、交代勤務者はそうでない人に比べて希死念慮を持つ割合が22%高いという結果が報告されています(Kim et al. 2024)。交代勤務では体内時計が乱れ、睡眠の量と質が落ち、それが体と心の不調につながる、という順番です。

つまり睡眠は、メンタル不調の入口にあたります。実際、不眠症に対する認知行動療法は、不眠の改善だけでなく抑うつ症状の改善にもつながることが、労働者を対象とした無作為化比較試験のメタアナリシスで示されています。眠りを整えることは、心の対策そのものです。

では、この睡眠と心拍の変化を、職場はどうやって拾えばいいのでしょうか。

法律が求めているのは「未然防止」である

職場のメンタルヘルスには、法律で決められた仕組みがあります。ストレスチェック制度は、労働者50人以上の事業場に年1回の実施が義務です。厚生労働省の実施マニュアルは、この制度の目的を「不調者の発見」ではなく「メンタルヘルス不調の未然防止(一次予防)」だと明記し、個人の分析だけでなく、集団ごとの分析から職場環境を改善することを柱に据えています。

この制度には、性格上のはっきりした限界があります。年1回であること、そして本人が答える質問票であることです。調子が悪いと自分で気づいていなければ、点数は正常に見えます。そして本人の同意がなければ、結果を事業者が見ることはできません。これは労働安全衛生法の規則で定められていて、事業者に結果を提供するには必ず本人の同意が必要です。

だからこそ、年1回の点ではなく、日常の連続したデータで補う発想が出てきます。では、腕時計は何を測れるのでしょうか。

腕時計が測れるのは、心拍変動・睡眠・活動量である

メンタルに効くデータは3つです。1つめは心拍変動(HRV)で、心拍と心拍の間隔の揺らぎから自律神経の状態を推定します。2つめは睡眠で、長さと途中の覚醒を記録します。3つめは活動量です。これらを日ごとに並べることで、単発の質問票では見えない変化の傾きが分かります。

ただし、できることは限られます。腕時計のHRVと本人が感じるストレスの一致は、研究によって結果が分かれています(Martinez et al. 2022)。ストレスの点数を出す計算式を公開していない製品も多くあります。腕時計が示せるのは「いつもと違う」という事実までで、それがうつ病かどうかの診断はできません。

この前提に立つと、使い道は2つに絞られます。本人が自分の変化に気づくことと、集団の傾向を職場環境の改善に使うことです。では、実際に試した結果はあるのでしょうか。

医療現場では、もう試験が始まっている

医療の現場は、この分野の実験場になっています。2025年8月にJAMA Network Open誌に掲載された研究では、勤務医が自分の生理データ(睡眠、歩数、心拍数)を見られるスマートウォッチを装着する前後を無作為化比較試験で調べ、装着した群ではバーンアウト(燃え尽き症候群)と回復力のスコアが改善しました。

重要なのは、この研究が「データを管理者に見せる」仕組みではなく、「本人が自分のデータを見る」仕組みで行われた点です。医療機器としての利用ではありません。本人が自分の状態を客観的に見られること自体が、行動を変える力を持つという結果です。

さらに進んだ試みもあります。心拍変動と睡眠のデータを使って、双極性障害の気分の波を予測できる可能性を示した症例報告が2025年に発表されました。個人差が大きく、応用には時間がかかりますが、変化の予兆を拾える可能性は示されています。

では、製造業の現場ではどう使えばいいのでしょうか。

使う単位は「個人の判定」ではなく「集団」と「本人」

参考になるのが、日本人の就労世代約2,000人を対象に、平均435日分、延べ50万名・日を超えるウェアラブルデータを集め、活動量、睡眠、心拍変動の16指標について年齢別・性別の基準値を構築した研究です(第99回日本産業衛生学会で発表)。個人の数値を絶対値で判断するのではなく、同じ条件の集団と比べられるようにする試みです。

この考え方は、現場の使い方に直結します。ある人のHRVが下がったとき、それがその人だけの問題なのか、それとも暑さやシフトの組み方の問題なのかは、個人の数字だけでは分かりません。班や工程ごとの傾向として見れば、環境を変える根拠になります。

そして、数字を渡す相手は管理者よりも本人を先にします。自分の睡眠が崩れていることに自分で気づけることが、メンタル不調の入口で手を打つ最短の道だからです。管理職として見るべきは、個人の点数ではなく、職場環境を変える材料です。

なお、データを集めるより先に、環境そのものを変えたほうが効く場合もあります。

眠りと勤務の組み方を変えるほうが、効くことがある

過労死等防止調査研究センターは、夜勤・交替制勤務への対策として3つを挙げています。1つめは勤務間インターバルを十分に取ること、2つめは夜勤中の仮眠で、30分ほどの仮眠でも集中力は保たれ、12時間や16時間の長い夜勤では2時間ほどの仮眠枠が勧められています。3つめは体内時計と睡眠についての教育研修です。

ウェアラブルを導入したからといって、この3つが不要になるわけではありません。むしろ、仮眠やインターバルの効果を数字で確認する道具として使うのが順当です。睡眠時間を伸ばす指導で摂取カロリーが減ったという研究があるように、行動が変わったときに体は応えます。

ここまではメンタルの話でしたが、同じデータは体の安全にも使えます。その部分だけ触れておきます。

体の安全のためのデータとしても使える

現場の事故でいちばん多いのは転倒です。厚生労働省の令和6年の統計では、休業4日以上の死傷者135,718人のうち転倒が36,378人で26.8%を占めました。熱中症も1,257人発生し、死亡は31人です。令和7年6月1日には改正労働安全衛生規則が施行され、WBGT28度以上または気温31度以上の環境で長時間作業する場合に、体制の整備や手順の作成、周知が義務づけられました。

建設現場では、心拍数と位置情報に暑さ指数を組み合わせて熱中症の危険を知らせる仕組みが動いています。ウェザーニューズが公開した事例では、大林組の59現場で延べ3,000人が利用した2024年の発症率は0.06%で、他の製品を使った現場の0.3%を下回りました。

ただし、心拍だけで暑さの危険は判定できません。心拍数は深部体温の代わりにはならず、皮膚温や活動強度と組み合わせて初めて意味が出ると指摘されています(Notley et al. 2018)。メンタルのデータも熱中症のデータも、単独の数値ではなく、その日の環境と作業の強度を重ねて読むものです。

ところで、人から人へ見せる使い方は、実はスポーツの世界が先に試しています。

アスリートの世界では、前から使われている

2015年のワールドカップバレーボールでは、フジテレビとポラールが協力し、選手に装着した心拍センサーの情報を中継で放映する国内初の試みが行われました。当時は特別な演出でしたが、今では選手の状態を数値で見ることは珍しくありません。2026年にはビーチバレーの大会配信でも、選手の心拍センサーのデータを画面上に表示する取り組みが発表されています。アスリートの分析と、その一部の公開は、いまも続いているのです。

「見守り」が「監視」に変わるとき

ここで、越えてはいけない線を確認します。監視されているという感覚が働く人の心を削るという研究があります。カナダの全国サンプル3,508人の分析では、職場で監視されているという認識が、ストレスの増殖を通じて心理的な苦痛を高め、満足度を下げる方向に働いていました(Glavin et al., Social Currents 2024)。

見守りと監視は、使う技術が同じでも中身が違います。見守りは本人が自分の状態を知ることを起点にし、監視は管理者が本人より先に知ることを起点にします。ストレスチェックの結果を本人の同意なく事業者に提供できないと法律が定めているのは、この順序を守るためだと考えられます。

だから導入の前に決めるべきことは、機器の選定ではありません。誰が何を見るのか、本人は何を見られるのか、そしてそのデータを人事評価に使わないことをどう保証するのかです。

私なら、この順番で入れる

  • 全社ではなく1つの班で始める。まず装着率と、本人がデータを見た回数を数える
  • 本人が自分のデータを見る仕組みを先に作る。管理者の画面は後回しにする
  • 管理者に届くのは異常の通知だけにする。全員の数値を並べた画面は作らない
  • メンタルには個人の判定をさせない。班単位の傾向として、環境と勤務の組み方の見直しに回す
  • 人事評価と処遇に使わないと文書で明記し、取得する情報と保存期間を先に決める
  • 相談の窓口とセットで動かす。数字だけを渡して終わらせない
  • 眠りと勤務の組み方(勤務間インターバル、夜勤中の仮眠)の見直しと同時に進める
  • 半年後に、装着率、誤警報、苦情、そして相談件数を並べて続けるか判断する

この記事で言いたいのは、腕時計のデータは人の状態を「見える化」するが、それは診断でも評価でもないということです。本人が自分の変化に気づき、職場が環境を変える。その2つに使えば、年1回の質問票では拾えない変化に、日常のなかで気づけます。

令和6年度の精神障害の労災認定が1,055件で過去最多になったという事実は、職場の側がまだ十分に手を打てていないことを示しています。私の職場ではまだ試していません。だから次にやることは、1つの班で1か月試すことだと考えています。最初に見る数字は、装着率と、本人が自分のデータを見た回数です。


出典・参考


あわせて読みたい

コメント

タイトルとURLをコピーしました